第16回 

 サラトガにある競馬の殿堂博物館 National Museum of Racing and Hall of Fame は、文字通り競馬の殿堂入りした競走馬・騎手・調教師を讃える博物館であり、もちろん競馬の歴史やサラブレッドそのものについての展示もある。
 下のアドレスからホームページをご覧頂くと、どんな展示があるか、どんな馬や騎手や調教師が殿堂入りしているのか、およびその成績なども詳しく知ることが出来る。
http://www.racingmuseum.org/

 この展示内容や馬の一頭一頭について触れていると、日が暮れるどころではなくて、1年近くもかかってしまうかもしれない。したがってここでは、博物館の歴史、殿堂入りの選考方法、博物館の組織と運営などについて簡単に触れるだけにしておこうと思う。

 同博物館は、1950年にサラトガ・スプリングスに創設され、1955年に現在のユニオン通りの場所に来た。1999年から改装工事が行なわれ、今年2000年の夏に新たにオープンしたばかりである。
 競馬の殿堂は、当初から競走馬・騎手・調教師の3つのカテゴリーで選ばれている。2000年現在の数を書こうとしたら、ホームページでは1998年現在の数字になっている。それによれば、馬が154頭、騎手77人、調教師71人であるから、その後馬が6頭、騎手2人、調教師2人が増えているので、160頭と79人、73人のはずである。

 選考の方法については、日本の顕彰馬や年度代表場合にも色々と話題になることがあるので、ここのやりかたを、少し詳しく見ておこう。まずは選考のプロセスから。

 現在の方法は1997年に改訂されたやりかたで、まず投票委員125人が別途選出される。ここまで書いて気がついたが、そういえばこの投票委員たち125人の選出方法は、どこにも書かれていない。さらに、私はこの博物館の会員になっているのだが、こうしたメンバーを選ぶ投票の依頼が来たことがない。おそらく、マスコミや関係者の中から選ばれているものと思うが、折りがあったら確認しておこう。

 話が逸れたが、まずは、この125人に対して、過去3年間に亘って一度でも選考の対象になり、かつまだ選ばれていない、馬・騎手・調教師の一覧が配られ、そこに追加して欲しい有資格者があれば、それを追加して送り返す。
 それが集められて、改めて一覧表にしたうえで、候補者選定委員会にかけられる。この委員会はエドワード・ボウエン Edward L. Bowen 氏が座長を努め、レーシング・フォーム紙やブラッド・ホース誌、サラブレッドタイムズ誌、スポーツ・イラストレイテッド誌などのマスコミ関係者12人と、この博物館の館長である ジョン・ステイド John T. von Stade 氏からなっている。
 このメンバーでの投票により、各カテゴリー毎に上位3位までを選ぶ。
 選ばれた各カテゴリーの3位までが決戦投票の候補となり、その経歴などの付属資料が添付されて、改めて投票委員125人に配られる。投票委員125人の投票の結果、第1位のものがその年の殿堂入りと決まる。

 現在、馬は、現代の馬の牡(含むセン馬)・牝と過去の馬の3つのカテゴリーからそれぞれ1頭の3頭を選び、騎手と調教師は、それぞれ1人を選ぶことになっている。
 2000年は、現代の牡馬がエーピーインディ A.P.Indy 、 牝馬がウイニングカラーズ Winning Colors 、 過去の馬がニードルズ Needles となり、騎手でジュリー・クローン Julie Krone 、 調教師でドライスデール師 Neil Drysdale が選出された。
 ちなみに、今年決戦投票に残った上位3位というのは上記の他、現代牡馬は Precisionist と Unbridled 、 現代牝馬は Flawlessly と Mom's Command 、 過去の馬は Bowl of Flowers と Cougar II 、 騎手は Earlie Fires と Jack Westrope 、 調教師が Richard Mandella と Willard Proctor であった。

 なお上記の他にも、時に応じて別の委員会から推薦があった場合に、候補として受け付けることになっており、その別の委員会として2つが上げられている。
 史的検証委員会は、歴史的に殿堂入りに相応しい活躍がありながら、埋もれてしまっている馬・騎手・調教師がいないかどうか検討をする。もう一つは障害競走委員会で、障害競走の馬・騎手・調教師で、ここに相応しい十分な活躍をしたものがいるかどうかを検討する。

 いずれの場合も、一般的選考対象基準 General Eligibility Criteria が決められていて、それは以下の通りである。

1.サラブレッドの場合、競走馬としての最終年度から5年を経過したもの。
2.引退後5年から25年までを現代の馬 Contemporary Male or Female とし、
  25年以上経過したものを過去の馬 Horse of Yesteryear とする。
3.現役の騎手は途中の怪我などによる長期のブランクを除いて、15年以上騎
  乗したものが対象となる。
4.現役の調教師は、免許を取得してから25年過ぎたものが対象となる。
5.騎手・および調教師で引退したものは、15年または25年以下であっても
  考慮する。ただし、引退後5年以降に対象となる。なお、著しく健康に支障
  があるなどの場合には、さらにその期間を免除することを考慮して、上級執
  行部委員会 Executive Committee が免除を決定する。

 これを見ても、特に人間は、なるべく現役の内にという姿勢も見えるし、実際に先に上げた殿堂入りの数字でも、馬と人間(騎手+調教師)の比率がほぼ同じで、馬の登録総数と活躍期間と人間のそれを考えあわせると、人間の側の方が有利である感じがする。
 したがって、日本や海外に名の聞こえた騎手や調教師は、まず間違いなく殿堂入りしている。しかし、競馬をスポーツと捉らえ、社会的な地位もそれほど高くなかった騎手や調教師が、こうして認知されることは決して悪いことではなく、大いに励みになっているであろうことを考えると、日本でも年間の表彰だけでなく、こうした制度も考えたほうが良いと思う。

 最後に、1999年の Annual Report (簡単な年次報告書)に収支がのって
いるので、それも見ておこう。
 収入が、3,138 千ドルで、支出が 1,782 千ドルだから、大幅な黒字のように見えるが、これは特殊要因がある。最初にご紹介したように、2000年夏に完成した改修工事があり、このための支出と思われるものがまだ 387 千ドルしか計上されておらず、おそらく翌年度に大幅に出るであろう。一方、それに合わせたキャンペーンの収入が 2,072 千ドルもあって、この二つを除くと、大幅な赤字である。

 博物館の貴重な資料や絵画など資産価値の高いものも多いが、基本的にそういったものは売る訳にはいかないもので、単年度の収支(特にキャッシュ・フロー)はそれとはまた別のものである。

 人件費などの支出は固定的に 1,400 千ドルを越えているのに対して、収入では入場料は 40 千ドルにも満たず、会員からの会費も 200 千ドル未満だし、土産物売り場の収入も 100 千ドルがやっと、イヴェントを催してその時に集める寄付と、今回のように大量に集まった資金の運用でなんとかキャッシュ・フローを繋いでいる状況が伺える。
 アメリカで競馬を支えて来た多くのパトロンたちがいるので、いざとなれば今回のようなキャンペーンでお金は集まるのだろうが、こうした文化事業を維持して行くのは、なかなか大変なことのようである。

 さて、残るはサラトガ競馬場でのトラヴァース当日の様子だが、馬券の話をしても前回と同じになるし、第一、今回は前回と違って負けているので、筆が進まない。それに、時間が大分経ってしまって、おまけにケンタッキーのブリーダーズカップにも行って来たという事情もあり、サラトガはこの辺で打ち切りにして、次回からはケンタッキーの様子にしようと思う。

 もっとも、今回も馬券は大幅に負けているので、馬券の話はどうするか思案中だが、一日にGIを幾つもやるブリーダーズ・カップの様子は、やはり全く触れないわけには行かないだろう。
 少々憂鬱だが、それは負けたヤツが悪いのだから仕方がない。なるべく、それ以外のことを色々書き立てて、馬券の話をすうっと通り過ぎることが出来るように工夫してみよう。