第6回 聖人君子

 今週の土曜日「武蔵野ステークス」には、南関東から「ナショナルスパイ」が挑戦する。楽しみである。ワクワクする。
 いや、馬の方はごく客観的にみてあまり期待できないかもしれない。JRA準オープン、トレード後も重賞にはひと息手が届かない7歳馬。実績といえば、この冬川崎記念2着、ファストフレンドに先着の記録だが、当時は展開の利、鞍上の好騎乗が大きい。だから、ワクワクするのは、桑島孝春騎手、彼が、10数年ぶりに東京競馬場で騎乗することだ。
 全国、内外問わず、筆者が最も好きなジョッキー。本当は予想者は、ひいきを作ってはいけないようだ。しかしこの人に関しては、勝ってほしい、頑張ってほしい、いつも個人的感情が抑えきれない。

 少し古いファンの方なら、やはりロッキータイガーだろう。昭和60年ジャパンカップ2着。怒涛の追い込みで、人馬とも、勝った皇帝ルドルフ以上の拍手を浴びた。
 その後さまざまめぐり合わせもあり、リーディングジョッキー、阪神ワールドJSなどには縁遠いが、毎年コンスタントに150勝程度の勝ち星をあげ、この7月には、現役二人目の通算4000勝を達成した。

 今年はヒノデラスタで、東京ダービーを勝った。帝王賞はドラールアラビアンで2着だった。つい先日は、石崎隆之から乗り替わったイエローパワーで、スーパーチャンピオンシップを快勝した。騎乗技術、気力とも、いささかの衰えもない。

 ただ、桑島騎手について、心底凄いと感服させられるのはそういう勝ち負けとか、記録面のことではむしろない。その人柄と姿勢である。どうほめたらいいのか、言葉に迷う。常にフェアプレーに徹し、それでいて勇気と決断力で勝ち抜いていくこと。どんなときでも、爽やかな笑顔を絶やさないこと。真面目で謙虚、「実るほど頭を垂れる…」を地でいくこと。その努力と忍耐、ちょっと普通の人間ではないとしばしば思う。
 気の毒なくらい、自制心が強い。大きなレースを会心の騎乗で勝つ。しかし、ガッツポーズなどしない。静かに馬をなだめながら馬道を引き上げてくる。
「調教師の先生や厩務員さん、みんなが仕上げてくれたんだから…」
「勝てなくて悔しい仲間もいるんだから…」
 何度かそんな言葉を、本人の口から聞いた。

 ジョッキーとは、因果な仕事だとしばしば思う。ひとつ間違えば・・・という物理的な危険もさることながら、その人間関係が、なにやら妙だ。
 他人の馬を預かって、勝負に臨む。勝ち負けの責任を、最終的に背負い込まなくてはならない。それだけならともかく、本人は基本的に自由業であり、個人事業主の立場である。
 例えば一つのレースに、乗り馬が2頭いる。選ばなくてはならない。強い馬、乗りたい馬をストレートに選べればいいが、多くの場合そうでもない。しがらみがあって、義理がある。場合によっては、かけひきまで強いられる。
 ツバをつけておく、お愛想を使っておく・・・。プロのスポーツマンでありながら、自分の力だけでは、どうにもならない。だから彼らの成績には、「営業」がうまいか否か、そんな要素がかなりの部分含まれる。

 桑島騎手の場合、それが実にシンプル、素朴な形で実行される。騎乗馬の選択は、まず自厩舎(船橋・高松弘之厩舎)が絶対優先で、あとはおおむね、騎乗依頼の先着順。力関係やら、勝算やらは、関係ない。
 予想している立場の我々は、首をひねることも少なくない。
「どうして(勝てるわけのない)こっちに乗るの・・・」。
 欲がない、プロとしての矜持がない、という声もときおりあった。
 なるほどそうだ。リーディングを獲る、大レースを射止める、という観点からは、理解しがたい処世術。しかし、本人はそれで納得している。
「勝てない馬でもね。自分が乗って工夫して、少しずつ着順を上げていく。これもけっこう面白いんだよ」
 勝ち負け絶対の世界に身を置きながら、周囲が拍子抜けするほど淡々としている。普通の人間ではない。

 地方のジョッキー、それもいわゆる売れっ子は、実に過酷な日常を過ごしている。ついでにちょっと書いておこう。
 例えば大井ナイターの一日、桑島騎手のタイムテーブルは、たぶんこんな風になっている。

  午前3時   起床
    3時半  船橋競馬場到着
    4時   調教開始・・約20頭
    8時半  調教終了・・朝食
    12 時   大井競馬場へ出発・・バス移動
  午後2時   第1レース装鞍
    3時半     〃 発走
    8時半  最終レース終了
    9時   大井競馬場出発
    10 時半  帰宅・・軽食後、就寝
 
 これがほぼ365日続く。
 仮に次の日に騎乗予定が入っていれば、その日競馬がなくても、自宅で軟禁状態(在宅確認という電話がかかってくる)。
 レースもなく、調教もない、いわゆる「全休日」は、月に2度あればいい方だ。これは桑島騎手ではないが、あるジョッキーは、苦笑まじりにこうもらした。
「僕ら、友達少ないんですよ。だってつきあうひまがないんだもの・・」
 家族サービスができないのも、彼ら共通の悩みらしい。

 ただし、競馬場でみる桑島騎手は、どこにそんな苦労があるのだろうというくらい風爽としている。
 例えばパドック。騎乗合図がかかって一礼。何とも軽やかな足どりで、馬の元へ走りよっていく。厩務員さんに必ず一声かける。
「お願いします…」
 これだけ実績があるベテランが、感謝の念を忘れない。ふわっと音もなくまたがり、一瞬のうちに馬と一心同体になってしまう。少しいれ込み加減の馬は、首さしをやさしく撫ぜる。まっすぐ前をみて、背筋がピンと伸びている。45 歳、とてもそうはみえない、少年のような凛々しい眼をしている。勝負服が似合って、帽子が似合う。これぞジョッキーと惚れ惚れする。

 勝った後の記念写真。後検量が終わって関係者を待たせたことがない。ため息もつかず、余韻も楽しまず、いつも駆け足。まあこのへんは、あの佐々木竹見騎手もそうである。調教師、オーナーと握手する。笑顔はずっと絶やさない。しかし姿勢はけっして崩れていない。

 「聖人君子」という評がある。ジョッキーとして、競馬人として、あまりに完璧でスキがないこと。
 何年か前、千葉・幕張の自宅にお邪魔して、取材したとき、そんな言葉をぶつけてみた。
「いやぁ、とんでもない」
 笑いながら、こう続けた。
「お酒もね、毎晩少し飲むんですよ・・」
 聞いてみると、缶ビールの小さいやつ」を毎日一缶飲むという。実際、特に好きではないらしい。
「だけどね。それくらいしないと、あんまり自分が可哀想だから…」
 いじらしいというか、無為大酒飲みの当方など、赤面するような話でもあった。
「勝ったときは、2つ飲むこともあるのよね・・」
 傍らで聞いていた、とも子夫人が、やさしく微笑しながらフォローしたのを覚えている。

          ☆       ☆       ☆
 10月25日・クイーン賞(船橋・千八百メートル重・交流 G■)

 ○1 プリエミネンス     53 柴田善   1分 51 秒1
  2 リンリンスキー     52 吉田稔     頭
 △3 シゲノキューティー   54 石崎      2
 ▲4 トシザミカ       56 河内      鼻
  5 アイディアルクイン   54 真島      2
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  6フューチャサンデー    52 横山典
 ◎7スイングバイ       54 内田博

 プリエミネンスが強い競馬で勝った。千通過 59 秒5のハイペースも幸いし、道中は中団のインでスムーズな折り合い。直線、馬込みをこじあけるように伸びてきた。ゴール際見せた勝負根性は、さまざまな条件をタフに使われ、力をつけてきた証拠だろう。今回プラス9キロだったが、これも好材料。もともと数字より細く見えるタイプで、むしろ今日はゆとりのある体つき、落ち着いた仕草が、成長を物語っていた。
 それにしても、ダートで少し渋いような馬に乗ったときの柴田善臣騎手は、勝負ぎわにきわめて強い。

 リンリンスキーは、ひとこと立派な2着だった。道営→東海で8戦6勝、しかし、対戦相手の比較からオープン馬とも思えず、ハナから無印と決め込んでしまった。想像力の欠如というやつ。
 3コーナー過ぎから外々をまくり気味に追い上げ、直線いったん先頭に立ったのだから、これは相当な能力がある。がっしり筋肉の詰まった感じの大型馬、しかしバランスがいいぶん、全体に軽やかさもある。パドックで一番よく見えた馬。もちろん後の祭りだが、そういう印象が濃い。ホリスキー×トウショウボーイの配合。ダートではとにかく走る。

 トシザミカは、川崎「スパーキングLC」同様、プリエミネンスより前々の位置取りで、厳しい流れもあって、最後は思ったほど伸びなかった。それでも4着なら、まず合格点か。抜けた力はないが、安定して走るタイプ。

 シゲノキューティーは石崎騎手、好位から抜け出す最高の騎乗をして3着。パドックで見せる馬体など、メンバー中群を抜いて素晴らしいが、どこか統一Gでは決め手不足。能力そのものがもう限界でもあるだろう。

 スイングバイは、スタートでうまくエンジンがかからず、中団からの競馬。初の左回りということもあったろう。3コーナーで追い上げたものの、そこで脚が止まった。道中すんなりなら、違う結果も出たはず。いずれにせよ、すべて初物尽くし。結果からは、◎に推した方が不勉強ということだろう。

 「秋華賞」から半連闘で臨んだフューチャサンデーは、後ろから差を詰めて6着。実馬を見るのは初めてだが、イレ込みがかなりきつい。レースぶりからは、深いダートが合うタイプとも思えなかった。