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九州・大分の「中津競馬」が廃止になるという報道が出て、そろそろひと月が経過する。スポーツ紙にリークされたのが2月10日、主催者 ( 競馬組合 ) からの発表が同13日。 いずれにせよこれは正式決定ということだ。一応3か月の告知期間、猶予期間をとったのだろう。開催は、年度末の3月ではなく、5月いっぱいで打ち切られる。 寝耳に水。 その筋の情報通に尋ねても、だいたいそんな答が返ってきた。この時代だから終始、経営が厳しいのは当然で、現実に累積赤字はぎりぎりのところまで積もっていたと聞く。 「20億円強…」が、きょうびどれだけの重さかはわからない。しかし、開催を続ければ続けるほど泥沼で、とにかく今後、好転する材料がいっさいない。 ただ、つい最近になって、佐賀競馬 ( 佐賀 ) 、荒尾競馬 ( 熊本 ) とタッグを組み、「九州競馬ネットワーク」を発足させていた事実もある。 顔と手足がなぜ別々に動いているか。にわかには理解しがたい部分もあった。 日刊競馬・編集部に、「大分新聞」のコピーが送られてきた。以下、ネットやら、なにやらの耳学問を総合して書く。 事の顛末。どうやら中津市長・鈴木一郎氏の独断であったらしい。ただし、それは苦渋の決断。鈴木氏は、就任当時から競馬に知識も愛着も深く、なんとか存続を図ろうとした。しかしもう万策尽き果ててしまったということ。 彼の努力は、 (1)ショッピングセンターでの馬券発売 (2)ケーブルテレビの実況中継 (3)グループ馬主制の導入 など、 できうる限り多岐に渡った。 それでも、現実に数字で負け続けている以上、もう地方政治家としては競馬を擁護、サポートしきれない。役人の世界、その慣わしはよく知らないが、駆け込みだったと聞く。予算編成の期限ぎりぎりに、「中津競馬」の開催権を返上した。 いうまでもないが、このことで地方競馬サークルにとって怖いのは”波紋”である。 一つの競馬場が廃止、閉鎖されることによる、悲劇的な波及効果。ダメなもの( 経済的な意味で ) は切っていく、それでいい、当たり前だという意識を、役人だけならともかく、市井にまで押しつけ、浸透させてしまうこと。 ファンも含め、競馬に関わっている人々。本当は誰でもわかっていることだと思う。JRAの華やかな競馬は、そのピラミッドの頂点を地方競馬に支えられている。底辺であり、受け皿。サンデー産駒だけで競馬が成り立つわけもない。 そもそもそれは、”第一次産業”である。中津競馬、さらに噂される新潟 ( 現実に 13 年度は開催 21 日減 ) 、高知 ( 答申を受けて調整中 ) などが消滅すれば、どうなるか。サラブレッドの生産頭数を、少なくとも今の2割以上減らすべく状況に直面する。”強い馬作り”などとんでもない。それも即刻という話になる。 ☆ ☆ 「中津競馬場」に出かけたのは、平成9年秋だった。筆者は職業上というより、個人的に、そういうのんびりした旅行が好きで、 ( ただしおおむねギャンブルがらみ ) 、けっこう全国の競馬場やら、競輪場やらをめぐってきた。 ただ、九州はどういうわけか縁が薄く、したがって地理勘もない。たまたまその数週間前、わが日刊競馬の同僚・栗原正光Т M に誘われ、これはいい機会だと二つ返事で同行した。 栗原正光は、当時グリーンチャンネルの「全国競馬だより」を担当していて ( 現在病気療養中 ) 、大いなる食欲と行動力を持った、頼りがいのある男である。カメラと腕章一つで、どこへでも割り込んでいく胆力と強引な姿勢 ( 日刊競馬の腕章で二子山部屋に潜入したという逸話がある ) には、いつも畏敬とハラハラを同時に感じた。 「札所二十四番」と題にしたのは、全国の地方競馬場踏破、巡礼を試みた際、大分・中津が北から 24 番目に位置するということである。 25 番が「佐賀競馬場」で、26 番が「荒尾競馬場」。日本の競馬場はひとまずここが終着点になるらしい。 たいして自慢にもならないが、筆者はその大半を踏破した。行きにくいとされる「益田競馬場」、「高知競馬場」にも出かけ、しっかり馬券もヤラレてきた。 心残りといえば、北海道の北見、帯広、門別あたりを、まだクリアできていない点だろうか。いずれにせよ、北海道はやはりデッカイドーである。しっかり回ろうとすれば、半端な海外旅行より、およそ時間と経費がかさむ。 ともあれ中津は、博多空港からJR博多駅経由で1時間と少しかかる。 「ソニック」あるいは「にちりん」という、おとぎ列車風の特急に乗り換え、小倉、北九州を大きく回りながら、ひた走っていく。この車窓は、小倉を過ぎ、南に進路を変えたあたりで、にわかにのどかで、心休まる情景になる。 「ソニック」は、前から見るとクワガタ虫を思わせる六角形車両。シートの背もたれに、ミッキーマウスのカバーがついていたり、連結部に、ロックBGMが聞けるレストルームがあったりで、すべてに遊園地仕様。これはお子様が喜びそうだ。 対して「にちりん」は、ローズレッドのいかつい機関車が牽引するオリエント急行風。もっとも筆者は、オリエント急行など、見たことも乗ったこともないけれど。 「中津」に到着したのが昼過ぎで、まずホテルに荷物を置き、それからタクシーに乗った。 これは地方競馬場、よくあるパターンだが、「競馬場のある町」、そういう匂いが駅前などにみじんもない。島根・益田あたりもそうだった。旅館に泊まり、そこの女主人に、「競馬場はどう行くの ?」などと尋ねたとき、「え・・・ ?」という困惑した反応が返ってくる。競馬場の存在自体を、地域住民がくわしくは知らない。いや知っていたとしても、興味がない、あるいは無視している。 益田の場合、少し町中をぶらぶら歩いて、最初からそんな雰囲気がいやおうなくわかった。20 代前半、いうところの若い働き盛りの姿はなく、商店街で元気そうに大声を出しているのは、だいたい 50 〜 60 代、年金生活者という初老の男女。あとは中学生、高校生が自転車で闊歩している。最近の益田市がどうなのかはわからない。十年前の話と断って書くのだけれど・・・。 ( この項続く…にさせてください ) |