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競馬ファンなら誰しも、夢にレースのシーンがでてくるのを一度や二度は経験したことがあるだろう。 私自身でいえば、最近、キングヘイローが大差で勝つ夢をみたばかりである。 目覚めた後、距離が 2400 米だったことまではっきり覚えているのだから、不思議だ。ただし、そのレースがダービーだったかどうかは自信がない。夢の手触りは、なんとなく青葉賞みたいな感じがする。 少し以前になるが、1990 年秋のことだ。 ジャパンCの一週間前に、ゴール近くの叩き合いのシーンが夢枕に立ったこともある。 カコイーシーズとベタールースンアップとの火の出るような叩き合いの情景をあまりに鮮やかに覚えていただけに、実際のレースで、両馬が直線抜け出たときは、ビデオのリプレイを見ているような気がしたほどだった。 もっともゴール寸前、両馬の間にオードが割って入ったことは、読者諸氏もよくご存知だろう。 私の夢は、ゴール 50 メートル手前のシーンだったのかもしれない。 さてそんな私の不完全な夢とは違い、何度も夢で勝馬を予知した男が、海の向うのイギリスにいるという。 その名はジョン・ゴドレー。以下は、高名なオカルト研究家のコリン・ウイルソンが、超常現象を集大成した大著『ミステリーズ』(工作舎)に収録されている記述からの引用である(高橋和久氏の訳文による)。 1946 年3月8日の朝、オックスフォードのさるカレッジに在学中だったゴドレーは、こんな体験をする。 〈目を覚ますと、ビンドルとジュラディンというふたつの馬の名が頭の中を駆けまわっている。新聞の勝馬欄でこの名を読んだ夢を見たのである。・・・・いくつかの新聞で調べてみると、実際にビンドルは一時にプランプトンで、ジュラディンはウェザビーで、出走する予定であることが判明した〉 そこでゴドレーは、友人とふたりで賭けをしてみる決心をする。 〈ビンドルが勝って 1.5 倍になった金を、今度はジュラディンに賭ける。予想通り 10 倍の率のこの賭も当たって、ゴドレーは 100 ポンド以上の利益を得たのである〉。 その後もアイルランドへ帰郷中に、再度新聞の勝馬欄を目にした夢や、競馬場で群集が勝馬の名前を叫んでいる夢を見ては、競馬予知の恩恵を蒙るゴドレー。 が、彼は、いつもいつも成功したわけではないらしく、中には負け馬の夢を見ているという。 やがてゴドレーは、勝馬の心霊予言者という評判を呈せられ、デイリー・ミラーの競馬記者となる。 むろんこのゴドレー記者、しょっちゅう競馬の夢のご託宣に頼っていたわけではないだろう。通常の予想の的中率はどうだったのか、という疑問がふつふつと湧いてくる。ウイルソンがそこまで調査の幅を広げていないのは、なんとも残念な限りだ。 ともあれこのゴドレー記者の盛名をもっとも高めたのは、1958 年、エイントリー競馬場で開催された伝統の障害レース、グランドナショナルにおいてだと思われる。 ゴドレーはこのレースを前に、その名もウォットマン What Man なる馬が勝つ夢を見る。 〈似た名前の馬はミスター・ウォット Mr.What だけであり、賭け率は夢とは違っていた−−夢では 18 対1だったのだが、実際には 66 対1なのだ。ところがレース当日の朝、たまたまパリにいた彼が『タイムズ』を読むと、ミスター・ウォットの賭け率は 18 対1になっているではないか。彼は馬券業者に電話して、25 ポンドをこの馬に賭けた。そして後刻、ミスター・ウォットが勝ち、彼に 450 ポンド−−それまでにない最高額である−−をもたらしたことを知った〉。 ちなみにゴドレー記者に未来予知の霊感を吹き込んだミスター・ウォットは、そもいかなる血統の馬なのか。 父の Grand Inquisitor は、His Reverence 、Duncan Gray(ウッドコートS)から 1915 年の戦時英三冠馬のポマーン Pommern に遡る。 ポマーンの父は、ポリメラス Polymelus で、同馬は今日もっとも栄えているといっていいサイアーラインのファラリスの父でもある。 それに比し、平地競走では絶滅寸前のポマーン系だが、どうやらステイブルチェイスの分野で存在意義を発揮しているようである。 ついでにいえば、Grand Inquisitor は、ポマーンの3×3のクロスを持っていた。 ミスター・ウォットは、母方もまた障害血統として鳴らしており、母の孫にやはり 1975 年のグランドナショナルを制覇したレスカルゴ L'Escargot を輩出している。 その勝利は、あの不世出の名障害馬レッドラムのグランドナショナル三連覇を阻んでのものだけに、価値がある。 ゴドレーの話に戻ると、このグランドナショナルでの輝かしい予知を最後に、霊感は影を潜めてしまった、とウイルソンは記している。 そして、こうした夢見の世界は、われわれの日常世界を超えた無時間帯が顔を覗かせたものである、と説く。 要は自分の見た夢が、勝馬を予知していようが、いまいが、実はあまり重要なことではないのだろう。 決して夢で一攫千金を狙おうなどと思わず、これからものんびりと閾(しきい)下の競馬の旅を楽しみたいものである。 初出:『競馬通信大全』13号 1998 年4月 |