競馬雑記帳:ダービーの意義について

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   偉大なるかな英国の競馬人・・・ダービーの意義について
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<いいわけ>

 ダービーについて、なにか書いてほしい、とたのまれて、簡単にひきうけてしまった。
 実は、ダービーについて、なにか書くのくらいやさしい仕事はないのである。もちろん、これは無条件にではない。資料さえ充分に調べる時間があればという条件のもとにである。資料が沢山手に入るからである。
 ところが、仕事の都合上、急に京都の競馬に来てしまった。資料を持ってくるひまがなかった。なが年のメモを記録したノートも手もとにない。そこで、いきおい内容は抽象的なことを書きつづることによって責をはたすことにする。

<ダービーとはなにか>

 現在では、ダービーというのは、固有名詞ではなく、普通名詞になってしまった。だから、ダービーとはなにか、という見出しは、あまりピンとこないかもしれない。その意味は、「世界各国およそ競馬を行なっている国で、ダービーと名のつくレースを行なっていないところははとんどない」などと言われているが、この場合に、各国についてダービーというレースの共通の要素はなにかということである。

 その前に、この括弧内の言葉は、ある競馬人が書いているのをそのままとったのであるが、実際はこんなことはないということを言っておきたい。
 ダービーと名のつくレースを行なっている国は、だいたい英語を話す国だけなのである。英語を話さない国で、わが国のように出馬表や競馬番組に「東京優駿競走」(日本ダービー)などというように、ダービーというサブタイトルを正式につけているところはほとんどない。
 たとえばフランスには、正式にダービーと名のついたレースはない。英語でフレンチ・ダービーなどといっているのは、フランスではプリ・ド・ジョッキー・クラブ、つまり、ジョッキー・クラブ賞という競走のことである。

 こういったレースもー括してダービーということにして、その共通点をさがしてみよう。そうするとヨーロッパでは、四歳馬牝牡混合のレースであり、距離は2400米ということが共通であり、その他負担貢量とか細かな条件も、ほぼ同様であることが分る。

 ところがアメリカにいくと、事情は少しちがってくる。アメリカには、各州にダービーと名のつくレースがあるが、アメリカを代表するダービーは、ケンタッキー・ダービーである。このケンタッキー・ダービーは、第1回の1875年から1895年までは、1哩半で行なわれたが、1896年から1哩4分の1になり、現在に至っている。

 以上のように、最も重要なレースの条件である距離までちがうのである。従って、共通の要素は四歳馬のレースということだけになってしまう。
 そこで、ダービーとはなにかという定義を下すと、次のようなことになるのではなかろうか。
「ある国のダービーとは、その国において賞金においても、また歴史的にいっても、最も重要なサラブレッドの四歳馬(牝牡混合)のレースである。」

<ダービーの意義>

 ダービーは、各国において四歳馬の最も重要なレースであるという。なぜだろうか。それにはダービーの持つ意義を知らなくてほならない。
 これを説明するには、各国のダービーの原型である英国のダービー、つまりイングリッシ・ダービー(またはエプサム・ダービー、正式には The Derby Stakes)について行なうのがいちばんよい。わが国のダービーも、これにならって創設されたものだからである。

 競馬はなんのために行なうのか、ということは、昔から言われてきた古い命題ではあるが、同時にまた、いつの時代にも提起される新らしい命題でもある。だがここで、与えられたこのせまい紙面で、こんなことを論じようと言うのではない。

 ダービーの意義は、競馬はなんのために行なっているか、ということに通じている。だがここでは少しはしょって、あるいは.二、三段とびこえて、英国では、競馬のしくみは、すべてサラブレッドの生産と結びついてつくられている、ということを知っておく必要があることだけを言っておきたい。

 そこで、ダービーの意義であるが、これは四歳という馬体のほぼ完成した時期に、牝牡混合のレースを行なって、毎年のいちばん優秀な馬をきめることに意義がある、というようなことが簡単に言われている。だが、これでは不充分である。

 現在では、ダービーの意義を説明するのには、どうしても四歳馬の五大クラシック・レースに言及する必要がある。
 これらのレースは、種馬の選択のためのレースなのである。生産のためのレースなのである。このことを最もズバリと表現したのが、ドイツのツフトレンネン(Zuchtrennen)という言葉で、ドイツ語でツフトは生産、レンネンはレースである。つまり直訳すると、生産競走となる。ドイツでは、四歳馬の五大クラシック・レースのことをこうよんでいる。

 英国の五大クラシック・レースは、この目的のためにあらゆる工夫がこらされている。
 二歳時から登録させることもその一つである。これによって生産者もこのレースを目標に生産育成を行なうことになる。単に優秀な馬を選ぶということだけが目的なら、こんなことは必要ないのである。
 なぜかというと、二歳の時には、とてもダービーに登録するような馬でなかったものとか、あるいは登録を忘れた馬などが、だんだん仕上ってすばらしい馬になったところで、ダービーには出られないからである。
 わが国でも、過去にこんな例があった。だからといって、二歳の登録をやめよなどという議論は、それこそ角をためて牛を殺すというものである。

 さらに、距離についても深い配慮がなされている。すなわち、千ギニー、二千ギニーは1600米、ダービーとオークスが2400米、セント・レジャーが約3000米である。
 ここに、英国における三冠馬の重要な意義がある。なぜかというと、距離1600米の二千ギニーの勝馬であるということは、この馬が卓越したスピードを持っていることを意味する。1600米という距離は、馬が息を入れずにいっきに走りうる最大の距離とされているので、これに勝ちうる馬は、これ以下の距離においてもすぐれた能力を示すことかできるのである。
 この点については、二千ギニーに相当する日本の皐月賞は、距離が2000米であるために、この意義がひじょうにうすれている。
 したがって、英国の三冠馬は、短、中、長のいずれの距離においても、自由自在の足が使えるということで、非常貴重な存在となるのである。

 負担重量についても、ダービーは最高峰をいくレースであるという考慮がはらわれている。
 周知のようにサラブレッドは、非常に負担重量に鋭敏な動物である。能力の劣ったサラブレッドでも、負担重量を軽くすると、みちがえるようによく走るのだ。ということは、優秀馬を選ぶためには、相当重い重量を課してテストが必要だということである。
 さらに英国では、サラブレッドは、あらゆる馬の改良の原種だとされ、事実、乗馬、馬車馬、ポロ・ポニイ等実用馬で、サラブレッドの血液のはいってないものほ、一つとしてないと言っても過言ではない。であるから、負担重量が重いということは、さらに意義があるのだ。

 英国では、ダービーは勿論、その他の種馬選択用のレースは、この意義が強調されているだけに、生産に用のない馬は出走することはできない。つまり、出走資格のある馬は、牝牡に限るので、去勢された馬、騙馬は出走できないのである。
 英国では、種馬の選択の条件として、馬の気質ということが重んじられる。サラブレッドというものが、実用馬の改良につながっており、優秀なサラブレッドというものは、競走能力ばかりでなく、その気質においても絶妙であることが要求されている英国においては、これは当然なことなのである。
 英国ばかりでなくその他のヨーロッパの国においてもそうであるが、英国に行ったことのある人なら、誰でもあちらの馬が、日本の馬に比べて、著しくおとなしいということに気がついているはずだ。これは必ずしも馬の扱いの上手、下手にばかり原因があるのではないということを知るべきである。
 去勢しなくては競馬に出せないような馬は、たいていは性質のよくない馬である。だから、この馬がどんなによく走ったところで種馬の資格は(去勢してあるのだから勿論資格はないのだが)もともとないとされるのである。だから、はじめからダービーには出走させない、というたてまえを取っているのである。

 以上、いろいろと述べたように、英国のダービーはすべての点において、このレースを世界で最高のレースとして意義づけ、かつ権威づけ、同時にその効果を発揮させるために、あらゆる工夫がこらされているので、これあるが故に英国のダービーが、世界の最高峰の権威あるレースとして、今日世界の競馬人に認められているのである。
 ダービーにつけられている種々の条件は、これがための必要欠くべからざる装飾なのである。そうでなければ、ダービーの登録なんかも一回だけでよいのである。

 条件にいろいろな工夫をこらし、確固たる意義を創造し、ダービーを競馬の至高のものとした英国の競馬人は、偉大なるかな! 

                       (昭和四一年六月号)


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 編者註
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 ダービー週間ということで、ダービーに関係するもののなかから、『競馬雑記帳』に収められた一文を選んでみた。
 ダービーの意義について、きわめて簡潔にまとめられている。
 初出は『優駿』昭和41年6月号である。